vol.145 熊問題から考える、共生という言葉の重さ

最近、熊の出没や被害のニュースを見るたびに、山に登る者として複雑な思いになります。
以前の私は、熊も山で生きる命であり、人間がその領域に入らせてもらっているのだから、もっと自然に対して謙虚であるべきだと考えていました。今でもその思いは変わりません。

ただ、最近は少し考え方が変わってきた自分もいます。
ここまで人の生活圏に入り込み、命に関わる被害が続くようになると、単純に「かわいそう」「共生が大切」とだけ言っていられない現実があります。

先日、青森の八甲田山に登った時のことです。
登山道の先で、先行していた登山者とタケノコ採りの方が「すぐ先に大きな熊がいて、全然逃げなかった」「タケノコを採っている時に熊と小競り合いになり、棒で突っついて撃退した」と話しかけてきました。
どうしようかと思った矢先、崖の上の藪の中からガサガサという音がしました。怖さはありましたが、私はその場に留まる方が危険だと感じ、周囲に注意しながら前に進みました。

下山後、八甲田山系でタケノコ採りの方が行方不明になり、その後、熊のそばで発見されたというニュースを知りました。
私が出会った方ではないことを祈るばかりですが、あの時の空気を思い出すと、熊との距離感を誤る怖さを強く感じます。

もちろん、タケノコ採りそのものを一方的に否定するつもりはありません。
しかし、熊がこの時期に餌にしているタケノコを求めて、人間が藪の中へどんどん入っていく。その行動は、熊から見れば自分の領域に踏み込まれ、餌場を荒らされているように映るのかもしれません。

これから必要なのは、感情的な排除でも、安易な共生でもないと思います。
山は山として守る。人の暮らしは人の暮らしとして守る。その境界線を曖昧にしないこと。必要な場所では規制し、必要な場面では駆除も含めて判断する。そのうえで、自然への敬意を失わない。

共生とは、近づき続けることではなく、互いの領域を守る知恵なのだと思います。
熊問題は、私たちにその距離感を問い直しているのかもしれません。

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